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長谷川平蔵

Dsc03864

実家の菩提寺は、四ツ谷の戒行寺。
戒行寺坂という坂もあるほど、歴史のあるお寺です。

ここは、鬼平犯科帳でおなじみ、
長谷川平蔵の菩提寺でもあります。

本堂の前には、こんな供養碑があって、
歴史ファンが訪れているとか。
 
 
今日は、父の七七日&納骨で、
戒行寺へ行ってきました。

お寺の墓地は杉並なので、
法要と会食のあと、家族親戚総勢30名以上で大移動。

お墓には、祖父母、曽祖父母・・・と代々入ってます。
父も、そのお仲間になっちゃいました。

あっちがわの人になっちゃったんだなぁ。

お墓のなかを覗いたら、
いままでの骨壷は、みんな白い陶器。

父の骨壷は、みんなのよりひとまわり大きい、
コスモスの絵柄の、ちょっとステキなものにしました。

お花好きだったおばあちゃんが、
それいいわねー、なんて言ってそうです。

次は来年の一周忌。
とりあえず、しばらくはこれで、ひと段落なのかな。

なんだか、ひと段落したくないような気もしますが。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

はじめまして、もし解ったら教えて下さい。
http://1st.geocities.jp/tekedadesu/kaigyozi.html
によると長谷川家の墓は明治に杉並区堀の内に移った後も、以降の人は戒行寺にあるような表現でお墓の写真も載っています。
これは事実でしょうか?つまり「まるやま」様と同じなのではないかと思ったのですが・・・。
私は本日偶然このお寺に行きましたが、墓地はなかったように思いました。もう一度行ってみるつもりではありますが。

投稿: idio | 2008.10.05 23:46

う~ん、詳しくはわからないのですが・・・

本堂に向かって、右手奥に、
新しく建設された事務所などのビルがあって、
そちらの崖になってる方に、いくつか墓石が残っているという話を、
むかし聞いたことがあるような?
もしかしたら、そのひとつに長谷川家のものがあったのかもしれません。

URL先も拝見しましたが、
長谷川家のお墓の後ろに写ってるフェンスが、
どうも戒行寺っぽくないような気がします・・・
お寺の裏のほうなのかなぁ。

投稿: あたし | 2008.10.06 10:23

すぐにレス頂きましてありがとうございます。
来週にももう一度行って確認してみますが、以下の2点が気になっています。
昨日戒行寺の1つ手前のお寺でカメラを構えていたら、70歳ぐらいの職人風の方が出てきて、私が長谷川平蔵の寺と勘違いしていると思ったらしく、本当の場所とかいろいろ解説してくれたのです(実はこれは偶然で、私は鬼平を全く意識しておらず坂巡りをしていただけでした)。その際はっきりと長谷川家の墓は堀の内の妙法寺に近いところにあると言っていました。
逆に本堂の右奥は気になっていたのですが「御用の方・・・」と書いてあったので行きにくく止めたのでそこにあったのかも知れません。
ところで私の家はは妙法寺から歩いて15分くらいですが、戒行寺の墓地は正確にはどの辺りでしょうか?

投稿: idio | 2008.10.06 19:37

なるほど・・・
平蔵ファンだった祖父に聞いたら、わかりそうな話なのですが、
亡くなっているので、詳しい話が聞けなくて残念です。

妙法寺のお近くにお住まいなのですね。
戒行寺の墓地は、妙法寺の裏手、
環七から真盛寺横の細い道を入って、左手になります。

見つかるといいですね!

投稿: あたし | 2008.10.06 21:35

こんにちは、大体のことは解りました。
ここ一週間、風邪で調子悪かったのですが、気になるので今日現地に行って来ました。
堀の内の墓地まで20分ぐらいでしたが、あまり墓が多いのにびっくり。以前から妙法寺の北側にいろいろあるのは気づいていましたが、こんないっぱいとは知りませんでした。戒行寺ほか4寺の合同の墓地は他に比べるとあまり広くありませんが、それでも探すのは大変。一応一通り見たのですが、最初から写真のフェンスがないので諦め気分で、結論としては「無し」としたものの、どこかにあったかもしれないいい加減な探し方でした。
そのまま丸の内線の高円寺まで歩いて四ツ谷へ、2度目の戒行寺に行きました。供養碑の右に曲がってすぐのところに、長谷川家のお墓を発見しました。他にも墓らしき石碑があり合計4つですが、本当の墓らしくみえるのは、長谷川家だけでした。
こんな感じで大体は解ったのですが、いろいろ不自然で、やはり鬼平が人気が出たことの影響のような気がしました(続きを書きます)。

投稿: idio | 2008.10.13 17:01

不自然かな思ったのは墓らしき墓は長谷川家のみなのと、場所は塀沿いの生垣みたなところで、移したとしか思えないことです。
またお墓には4人分の彫り込みがあり、右から男明治15年没、女明治37年没、女明治26年没、童女元治元年没になっています。普通に考えて、これは一家4人の感じで、特に明治37年没のときぐらいに遺族が作った墓とかの感じなのです。
http://otonanonurie.image.coocan.jp/2006/02/0287.html
によるとわざわざ赤字で「つぶやき」とか題して「明治末に墓地を杉並の堀の内へ移転するとき、遺族が現れなかったために無縁仏となった」と書いてあります。これが詳細にわたって正しいかは別として、堀の内に移転したのは正しいかと思います。
こうなると大胆な推定ですが、鬼平で有名になってから、堀の内に残っている長谷川家に関係ある墓を戒行寺の隅に移したのではないでしょうか?その墓でも明治の墓でそれ以前の分はないですし、逆にそれ以降が堀の内にあるのか解りませんが、普通に考えると、この墓を以って終わっているのが自然な感じがします。たとえ子孫がいるにしても、どこかへ移って墓も移ってしまっている気がします。
我こそ鬼平の子孫とか名乗る人がいると面白いのですが。
あっ、でもいるかも知れませんね、これも調べてみたいです。

今回はいろいろ情報をありがとうございました。
もしこちらのブルグがなかったら何が何だか解らないままで終わるところでした。謎のお墓が見つかっただけでも嬉しかったです。

投稿: idio | 2008.10.13 18:03

いろいろ解決したようで、よかったです。
父の納骨の記事から、意外な展開でしたが^^;

投稿: あたし | 2008.10.13 20:02

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