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flexible ?

20120609

ぶれてるけどね、
ちゃむさんの手、赤いでしょ。

本日、休日授業参観。

「そうさ」の授業で、

片栗粉と水と食紅を使って、
固体・液体の変化を感じるものでした。

薄いピンクの粉に水をかけると、真っ赤になって、
それをおだんこにしてみると、ドロドロって崩れるわけです。

で、手が赤くなっちゃったよー。
赤くなるほど、積極的なちゃむさんです。


片栗粉ってさ、
お料理で使う人は、水に溶くときわかりますが、

圧のかけ方によって、
固体化したり、液体化したり変化するでしょ?

それに食紅の粉が水で発色する性質も利用して、
変化を見るわけね。

なるほど。

って、
内容はとってもいいんですが、

それが「そうさ」かというと、

まぁ、おいといて、


環境がね、問題なんですよ。


やっぱり3学年縦割りグループには、
限界があるよねー。

もう小学部1年生のときからずっとよ。

この人数で、この場所で、この規模で、
やる課題じゃないだろ?

ってなことを、ずっとグループでやるわけよ。


何度も言ってますが。


グループがカーストみたいになっちゃってるの。
そのなかで不自由なわけよ。

もっと個を重視した、
フレキシブルな組織にできるんじゃないかなー。


人数的なもの、
教室やら車イスやらの物理的なもの、

どれをとっても、
とても集中してその変化を感じられる環境だったとは、

思えず。


この課題の趣旨を有効にするならば、

いまのグループを、
学年別に分けたぐらいの人数で、

大きな学習室に、ぎうぎうに入って、
バタバタと混乱のなかでやるんじゃなくて、

ふつうに教室で、車イスのテーブルじゃなくて、
大きな机を使ってやったほうが、

ずっとわかりやすいと思うんだけど。


だからさ、目の前のことにしか意識が届かず、
触れた、ってとこで止まっちゃうんだよ。

触るのなんて、大前提じゃないのか?

触ることだけが、
実際になっちゃってていいの?

あいかわらず、進歩がないのよねー。

感じること、楽しむこと、
そこで終わりなのよ、多くが。


それじゃダメだよ、ってあちこちで言ってるんですが、
もうね、けっこう空しい。


親の感想もね、
触れた、ってとこで止まってて、

汚れたらすごい、みたいな、

こんなの家でできないから感謝みたいな、
いや別に家でやる必要ないだろ、と思ったり。

そんな懇談会で、こんな感想言えませんので、
あえてここに吐き出してるわけよ♪


そもそも片栗粉の性質に、
すごーいって驚いてはしゃいでるのよ、親が。

片栗粉、使ったことないのか?

片栗粉が、イモ類のでんぷんだってこと、
知らない人もいそうだよ(-_-)


話がそれたけどね、
重要なポイント、もう一度いいますよ。


グループがカーストみたいになっちゃってるのよ。
そのなかで不自由なわけ。

もっと個を重視した、
フレキシブルな組織にすべき。


大人数が適した内容であれば、集まればいい。

適した内容であれば、よ。


フレキシブル。

英語でも書いちゃうぞ、flexible。


今年度から、
小学部はグループ学習が廃止されたんだよねー。

それ、すばらしいと思う。

現状打破に、
希望がないわけじゃないんだ、と思いたい。


特別支援学校っていうのは、
それが実現できる場所のはず。

それが実現できる場所であって欲しい。



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