« ぴょんぴょん星人 | トップページ | 終わりと始まり »

文化祭と重い障害のある子の学習について考える

Sakuhin_2

ちゃむさんの文化祭。
展示コーナーの作品より。

こういうのをデザインとして、
何かビジネスができないものかと、考えてみたりする。

モノづくりにつなげることが、すべてじゃないけどね。


さて、文化祭。

学年だったり学習グループごとの発表は、
先生と子どもたちによるエンターテイメントでした。


特に中学部になって、
学習グループごとの発表になって、

いろいろ考えさせられたことがあって。


それぞれの子どもの状況もあるので、
流そうと思ったのですが、

きのうの夜、毎年恒例の母たち飲み会して、
いろいろ話してたら、

そう考えたのは、
じぶんだけじゃなかったことがわかったので、

ちょっと、まとめておきます。

久しぶりにがっつり書いたので、
お時間のあるときにお付き合いください。


きのうの本番の1週間前に、
公開リハーサルがあって、それを見せてもらって、

感じたことを facebook に書きました。

 >息子の文化祭リハーサルを見てきた。
 >中学部は学習グループ別の発表。
 >できるできないが歴然で軽くへこみ、
 >息子の無垢な笑顔に救われる(。-_-。)

もらったコメントに対しては、

 >今までの学年ごとの発表は、いろんな子がいて
 >それぞれの個性として見られたものが、
 >グループごとだとグループの個性になっちゃう印象なの。
 >息子のグループは、何か出来る事を目的にしてないのよ(-_-)
 >ちょっとがっかりだった。
 >写真一枚も撮らなかったよ。


カメラ持ってたのよ。

普段100枚単位で撮ってるあたしが、
1枚もシャッターを切らなかったって、

かなり問題だと思うのです。

毎年、リハーサルも必ず見に行ってて、
本番同様に、たくさん写真を撮ってるし。


ちゃむが所属してるのは、
もっとも障害の重い子のグループ。

今回の発表は某漫画&映画をもじった
「宇宙兄弟」というタイトルで、

宇宙飛行士たちがいろんな星を訪れて
宇宙人と友だちになり、

地球に招待して満開の桜を見せてあげるというストーリー。


テーマは、
「他者を受け入れることの大切さ」 なのかな?


衣装もセットもストーリーも、
先生たちのオリジナルで、

子どもたち全員に出番ができるように、
いろいろ考えてくださったようすが伺えます。

ほんと、たいへんなことだと思うし、感謝。


問題は、

「何か出来る事を目的にしてない」と感じてしまったこと。


文化祭の目的は、
学習の成果を発表する場ではなく、

お祭り的な要素を全面に出した、
楽しむイベントだというなら、OKなのかなぁ。


いい顔はしてるんです。

だって、ぴょんぴょん星人のちゃむさんは、
先生にぴょんぴょんしてもらって楽しいんだもの。


笑顔って、危険なの。

見てるほうは満足しちゃうんだよ。


でも、それだけでいいの?

ずっとそれだけなんだよなー。


もちろん、ちゃむさんは、
笑顔を引き出すことが必要な時期もあったよ。

でもそれはもう、あたしが10年前にやりました。

毎日の学習についても、
ゆれとか感触とか、感覚に働きかけることがメインで、

そこから先へは進まない。


確かに、
さまざまな経験が不足している子が多いから、

感覚に働きかけるっていうのが、
必要なこともある。

こともある、わけよ。

でも、ずっとそれなのよ。


そもそも、うちの子はその段階?


楽しいだけで終わらない活動を、って、
繰り返しお願いしていても、伝わらないってことは、

親っていうのは客観性に乏しいから、
相手にされてないってこと?

あんたの子どもにそれ以上を望むな、ってこと?


ほらほら、
ネガティブ思考になってきましたよー。


Dsc00065_2

これ、何度か使ってますが、

関肢P連に発表校として参加したときに
研修会の資料として出されたものです。


「可能性のある自ら輝く存在として、
 自ら学びたいと思っています。」

あたしは親としてこれを信じます。


「できること」をきちんと確認し、

さらなるステップアップを設定して、
毎日の学習で練習させ小さな成功体験を重ねさせ、

「できるようになったこと」を発表する場として、

授業参観とか、
文化祭が存在するんじゃないのかなー。


うるせー親だな、なんて思われちゃうんだろうな (-_-)

|

« ぴょんぴょん星人 | トップページ | 終わりと始まり »

障害者福祉」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« ぴょんぴょん星人 | トップページ | 終わりと始まり »