母という病
いわゆる「悪い子」よりも、
表面化しない「良い子」のほうが、
ずっとずっと問題は根深い。
それは繰り返し考えていたこと。
もちろん諸説あるし、
これがすべてではないだろうけど。
愛着障害については、
大学でもその後も繰り返し勉強しているものの、
この考え方は目から鱗だった。
いや、
そうだろうなーとは薄々感じてたものの、
あまりにハマりすぎてて。
ほら、
よく占いとか性格診断とかで、
どんな人にも当てはまるように思わせる
文章テクニックを使ってるケースってあるじゃない?
みんなが「よくあたる」っていうのは、
そういうテクニックを使っているものがほとんどで、
これも、それかと思ったぐらい。
疑問に思ってたことが、
するすると解決しすぎてコワい。
現代の病を、
すべてこれで理由づけてしまうのはキケンだけど、
ありえるよなー、とも思う。
最近あれこれ読んでる小説の多くは、
こわれた家族がテーマで、母親の存在に問題がある。
それらがウケてるってことは、
読み手に共感する人が多いってことだ。
「母である前にひとりの女性で人間だ」
って言い訳する人、多いだろうけど、
子にとっては、
母は母でしかないし、
子の前では、
子の前だけでも、母は母であるべき。
子の前でオンナ出されて理解しろっていわれても、
ヒジョーに迷惑な話で ┐(´-`)┌
何気ない言葉の刃は鋭すぎて、
かすったつもりで笑ってても、実は深く刺さってたりする。
刃を振り回してるほうは、
刃を持っていることにさえ気づかない。
それがね、友人同士とか、
夫婦とか、そういう関係なら問題ないのよ。
いや多少は問題だけどさ。
母と子だから、問題なのだ。
放任主義ってよく聞くけど、
それって関係を放棄したようなもんだし。
逆に過剰な愛着は、
かまってるはずの相手のことはほったらかしで、
結局は自分しか見てない。
努力を、我慢を、犠牲を認めろ、って、
そんなのは子の前じゃないところで主張しないと。
母親だって、
自分を生きることはもちろん大切だけど、
それはTPOを選ばなきゃいけない。
気づけば連鎖とめる最初の一歩にはなる。
オトナになっちゃったら、
ムリに向き合って解決しようとするのはキケンだと思う。
傷が深くなっちゃう可能性のほうが高いからね。
じぶんに洗礼名をつけるとき、
女の子が当たり前につけている「マリア」を、
どうしても自分に当てはめることができなかった。
そういうことだよなー。
母として、子として、興味のある方はぜひ。
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