向き合うこと、がんばること、
説明が足りないよ、
ってところはあったものの、
大変なガンだよ、
っていうのはたぶん伝わった。
ほんと乳がんは、
手術はただのスタートでしかない。
これが、きっとわかりにくいかも。
手術が終わって、よかったね、
って言われる、よかった、に感じる違和感。
ちっともよくないんだよ。
始まっちゃったんだよ、がんライフが。
本も読んだし、
あれこれ調べたし、
わかってることだらけだったけど、
あらためて番組にされちゃうと、
なんだかイヤだね。
NHKの柳澤さんが、
向き合うっていうのは違和感だ、って言ってて、
その発言がYahooニュースにまでなっちゃってて、
言葉がひとり歩きしそうで、気の毒だけど、
でも番組のなかで、
それがいちばん、うん、うん、って思ったことだった。
柳澤さんは別のがんで、
術後何年も経ってて、
それでもやっぱり向き合う違和感を訴えるって、
たいせつなことだ。
時間が解決してくれることじゃない、って現実だ。
向き合ってます、とか、
共存していきます、とか、
本人が言うのは、いいんだよ。
でも、たぶんね、
本人も、そう思えるときと、思えないときがある。
そういうのを、
作っちゃいけないんだと思う。
向き合わなきゃいけない空気を、
共存しなきゃいけない空気を、
だいじょうぶだよ、っていう雰囲気を、
他者が作っちゃいけないんだよ。
そんなにキレイにしないでほしいの。
だいじょうぶかなんて、
じぶんが決めることなんだよ。
そんなに悲観的にならないで、
前向きに、上向きに、
っていうのもさ、
あるべき感情の押し付けじゃん。
それじゃ、悲しんじゃいけないわけ?
どこで泣けばいいの?
心に鍵かけてばかりおけないでしょ?
それじゃ、
どう言葉をかけたらいいんだよぅ、
って思うよね。
もう、
ふつうでいいんだと思う。
シンプルに、
こころをこめて、
がんばれ、でいい。
なんていったらいいかわからないけど、
とにかくがんばれ、って、
声をかけてくれた友だちがいて、
それがいちばんチカラになった。
もらった「がんばれ」には、
いろんな、がんばれ、が含まれてるから。
がんばれないことも、がんばるの。
悲しむことだって、がんばるの。
眠れないなーも、がんばるの。
手術もがんばったし、
治療もがんばるよ。
大きながんばるはムリだけど、
毎日がちっちゃながんばるだから。
いいの、いいの。
がんばれないときも、
うん、うん、がんばってるよ、って
言ってあげればいいの。
がんばらなくていいんだよ、
とか、
がんばれっていわれるのツライ、
とか、
そういう次元とは、ちょっとちがうんだ。
というわけで、
明日から、放射線治療スタート。
がんばります。
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