19
ちょうど19年前の6月のあたし。
ふつうに東京っぽいけど、ニューヨークです。
遊びに行っただけです。二十代半ば。
ほぼ日が生まれた19年前は、
会社をやめようと決めたころ。
個人のホームページを始めたりして、
ネットでつながりができたりして、
ボランティアとか仕事とか、
会社やめても、
パソコン関連で、フリーランスで、
やっていけそうだな、って、
必要としてくれるところがありそうだ、って、
漠然としつつも、手応えを感じたころ。
いまではすっかり基準以下ですが、
当時はそこそこパソコンに詳しい人だったので。
そんなときに誕生した、ほぼ日。
目標になったり、
お手本になったり、
情報の窓になったり、
知識や興味の入り口になったり。
ネットの世界であれこれしていくなかの、
灯台みたいな存在だったなー。
19年経って、
取り巻く環境はいろいろ変わったけど、
灯台みたいな、窓みたいな、
そんな存在であることに変わりはないね。
そして、思い出した19歳のころ。
大学受験に失敗して、
浪人が許されず、
とりあえずの勢いで、
興味もないのに専門学校の情報処理科へ入って、
やっぱり大学へ行くべきだった、って、
世界史の教科書を開いてたのが、
19歳になった夏だった。
やっぱり大学へ、を叶えたのは、
社会人になった翌年の21歳だったから、
もう少し先のはなし。
たしかに19歳って、微妙な年齢。
学生の人もいれば、
社会人の人もいれば、
どっちにもなれなかった人もいる。
たくさん迷って、
閉塞感があって、
不安だらけで、
何をどうやって、
未来を切り開いていけばいいのか、
暗中模索とは、まさにこのこと。
道が見えないんだよね。
視野が狭くなりがちだから。
視野、狭かったなーと思う。
平均台みたいに細い道のうえを歩いてた。
落ちたら最後って思ってて、
ほんとに落ちた。
大学受験の失敗は、
こうなる、っていうのを具体的に思い描きすぎて、
その、こうなる、っていうのも、
こうなるべき、みたいな思い込みで、
ほんとうにそうなりたいのか、
ほんとうにそれが好きなのか、って言われたら、
じぇんじぇん違ったんじゃないかと、
いまはわかる。
大学は就職予備校じゃないんだから、
何を学ぶかを、もっと考えればよかった。
そんなこともわかってなかった。
絞り込みすぎて、
まったく柔軟性に欠けていた。
柔軟性を身につけるための、
知ろうとすることが、足りなかった。
19歳は、その前の段階でも、
もっと、いろんなことを知らなきゃいけなかったのに。
きっとそのために大学はあるのに。
こうなるべき、っていうのを決めた段階で、
わかったつもりになっていた。
あのころに、
たくさん忘れ物をしてきたような気がして、
取り戻せない時間を繰り返し嘆いてきたけど、
さっきね、
思い出して検索したら、
こんな歌詞だったよ。
19 (nineteen)、
あのころ、繰り返し聴いてたはずなのに、
なんにも見えてなかったなー。
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