Reframe
想像しているよりも、
たくさんの救命ボートが必要かもしれない。
学校が嫌なら図書館へおいでよ、とか、
NHKの朝イチとか、Eテレの特集とか、
必要なコの、
必要な親の、目に入っているだろうか。
もしも追い詰められていたら、
当事者には届かないかもしれない。
もしその日が明日なら、
もう時間がない。
あたしも十代のころ、
死にたい子どもだった。
ただ、
死にたいと、本当に死ぬことは、
続きのようで続いてない。
学校に行きたくない、
とかじゃなかったんだけど、
袋小路に入った気分、
行き場のない気分、思い出してしまった。
そうさせる原因は、視野の狭さだ。
学校に行く、
行かないだけじゃなく、
未来のこうあるべき姿、
こうなりたい姿、なる姿のバリエーションを知らない。
学校って、大人になってから思い返すと、
かなりクレイジーな場所だった。
あの場所だけが居場所として与えられているなんて、
せっかくの十代、もったいない。
それでも、それしか知らないし、
そこへ行くべきだと親は思うから、そうなる。
親の理想が、安易なほうへ向きがちだからね。
学ぶことは必要だし、
素晴らしいことだけど、
学ぶ場は、ほんとうはほかにいくらでもあるし、
未来へつなげる方法もたくさんある。
社会、って、
ひとくくりにできるほど、世の中は狭くない。
もっと視野を広げて。
特に、親が、大人が。
どこまでも、無知は罪だ。
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