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四旬節もクライマックス。
今日はキリストの受難、 聖金曜日です。
祈りのうちに。
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彼が担ったのは わたしたちの病
彼が負ったのは わたしたちの痛みであったのに
わたしたちは思っていた
神の手にかかり 打たれたから
彼は苦しんでいるのだ と。
彼が刺し貫かれたのは わたしたちの背きのためであり
彼が打ち砕かれたのは わたしたちの咎のためであった。
彼の受けた懲らしめによって わたしたちに平和が与えられ
彼の受けた傷によって わたしたちはいやされた。
(聖金曜日 第一朗読イザヤ書より)
2018.03.30 20:26 祈り | 固定リンク Tweet
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