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ポテトサラダ

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東京の新型コロナ感染者が
224人というブレイクを見せた日に、

なぜかTwitterは
ポテトサラダの話題であふれていた。

何でポテトサラダ?って調べてみたら、
大元はこれだった。


あああ、老害、出た。

罰したい欲だ。


「母親ならポテトサラダくらい作ったらどうだ」


なんとも余計なお世話。


ポテトサラダをつくるのは、
けっこう大変なんだぞ、とか、

その高齢の男性は
きっと料理をしたことがないんだ、とか、

いろんなコメントがついていた。


この問題の所在は、
ポテトサラダ、そのものにない。

買ったものは、
ポテトサラダでなくてもいい。

母親はこうあるべき、という、
偏った価値観の押しつけだ。


母親は、
きちんと家事と育児をこなすべき、
なんていうのは色あせた神話のこと。

親は母親だけじゃないのに。

オンナだからって、
押しつけられてきたようなもの。

手作りはすばらしい、
手作りは愛情のしるし、
っていうのは自己満足だし、

料理なんて、
したければすればいいし、
したくなければしなくていい。

そんなことは、
人生のオプションでしかない。

しないことを、
誰かに責められる必要はない。

無理にするものじゃないし、
しないからダメってものでもない。


お総菜を買うことは、
ダメなこと、ずるいこと、ではないでしょ。

っていうか、
ダメでも、ずるくてもいいじゃん。

誰かの正義に、
なんで縛られなきゃいけないの。


お店に食べたいものがあったら、
買えばいいし、

作りたいと思ったら、
作ればいいのだ。


幼い子どもといっしょに、
美味しいね、って、
食べることのほうが大切。


偏った価値観が生み出した
こうすべき、こうあるべきを、

自分以外の人に向けてはいけないでしょ。

見ず知らずの高齢者男性に、
こんなこと言われたら、

幼い子どもを抱えたママは、
自分を責めてしまうでしょ。

ポテトサラダを見るたびに、
立ち止まってしまうでしょ。


見ず知らずのおせっかいじじいに、
なんで傷つけられなきゃいけないんだ。

通り魔か。

こういう通り魔な人って、
自分が言ってあげなくちゃ、って思うらしいよ。

他人に意見できる自分ってエライ、
とか思ってるのか。

ナニサマだよ。

そんな正義は墓場に持ってけ。


Twitterのなかでは、
そのママのことをみんなでなぐさめてた。

大丈夫だよ、って、
あたしも肩を抱いてあげたい。


あー、ポテトサラダ食べたくなった。

デパ地下の、
カッテージチーズ入りのヤツ。

メゾンカイザーの食パンにはさむと
最高なの。


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