三菱重工のトンネル工場で助かり、
原爆遺児となった少年は、
コンベンツァル聖フランシスコ修道会の
修道士になった。
アウシュビッツで亡くなったコルベ神父さまが、
戦前、長崎につくった聖母の騎士修道院だ。
学校の校長などを経て、被爆体験の語り部や、
聖コルベ記念館の館長をされていたが、
2021年に93歳で亡くなった。
焼けたロザリオといえば、
思い出すのがこのロザリオ。
長崎原爆資料館に展示されていた、
永井隆博士の妻、緑さんのロザリオ。
焼けこげた珠は、
きっと美しい祈りを紡いでいたに違いない。
こんなふうに哀しく焼けたロザリオが、
あの時、
たくさんあったのだろう。