保護責任者遺棄致死のニュースから
亡くなったお子さんに、
手を合わせつつ。
いくつか記事を読んだところ、
死亡したお子さんは脳障害で寝たきりで、
日常的に吸引が必要だったこと、
子どもはほかにふたりいて、
3人の子のシングルマザーだったこと、
事件当日、ほかのお子さんは、
親戚の家に預けられていたこと、
家を出ていたのは少なくとも、
正午ごろから翌朝9時40分ごろだったこと、
などなど、
表現に若干の違いがあったけど、
おおよそそんな状況だったようだ。
事件が起きたのは、
昨年の1月なので、2年近く前。
時間をかけて捜査が進められ、
この時期になって逮捕に至ったらしい。
大変だよね、
気持ちわかるなぁ、
責められないよね、
なんて簡単に同情するのは、
安易で、安っぽい。
制度があったって、
組織があったって、
すべてを網羅できるわけなんてなく、
解決しない問題がたくさんある。
例えば制度があるからって、
携わる組織に依頼しても、
必ず受け入れられるとは限らない。
一度、拒否されれば、
もう頼るものにも頼れない。
笑って過ごせたことが、
ひとときでもあったとしても、
そんな一コマでは埋められないような、
絶望が繰り返しやってくる。
障害のある子が心配で先に死ねないって、
美談みたいに親に言わせてるのは、
社会だ。
苦しいし、
しんどいし、
逃げたいよねぇ。
母親だから逃げちゃダメって、
母親だから当たり前のことって、
母親だからどんな時も向き合えって、
社会的拷問。
拷問の終わりは、
母親自身の死しかない。
何もかも、
誰かに委ねられたらいいのに。
誰が悪いとか、
何が悪いとか、
どうすればよかったのかとか、
そんなことはどうでもいい。
ただ一緒に、絶望してる。
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